1回目は希望として、2回目は絶望として
2021.06.18 掲載
この表題はもちろん、マルクスの「1回目は悲劇として、2回目は喜劇として」から取ったものです。言うまでもなく、オリンピック東京大会のことです。1回目の時は高校生でした。2回目の今回は後期高齢者として迎えます。人生はあっという間ですね。
オリンピックの性格も大きく変わりました。1回目はプロ選手の参加は認められず、今では死語となっているアマチュアの大会でした。現在ではマイナーなスポーツ(あまり世間に知られていなくて、企業としても大きな売り上げが期待できない種目)はともかくとして、参加選手の殆どはプロです。
1回目は我が国が敗戦から起き上がり高度成長を謳歌している時期でした。2回目の今回は緩やかに(人によっては激しく)下降している時期です。下降しているという内容は、経済は無論のこと、政治も教育も社会も劣化しているという意味です。
新型コロナウイルスはいっこうに収まっておらず、「普通では開かない大会」です。それを敢えて開こうというのですから、そこには大きな理由があるはずです。それは「IOC」・「アメリカのTV局」・「アメリカ国民」・「世界的な大企業」の都合です。前回の開会式は、最も雨の降らない10月10日でした。それが今回は、何故猛暑の7月23日になるのでしょうか。選手にとって最も能力を発揮できる時間帯が、午前中だとは到底思えません。どちらもアメリカのTV局と、アメリカ国民の都合です。
この間の動きを見ていますと、敗戦に突き進んでいる我が国の軍部と政府を思い出さないわけにはいきません。「国民の命と財産を守るのが私の責任」とはよく聞く言葉ですが、これくらい内容の伴わない言葉はありません。こうなれば、事態をじっくりと観察して忘れないで、必ず次の動きにつなげたいものです。
理事長 竹内公昭
前のページに戻る
オリンピックの性格も大きく変わりました。1回目はプロ選手の参加は認められず、今では死語となっているアマチュアの大会でした。現在ではマイナーなスポーツ(あまり世間に知られていなくて、企業としても大きな売り上げが期待できない種目)はともかくとして、参加選手の殆どはプロです。
1回目は我が国が敗戦から起き上がり高度成長を謳歌している時期でした。2回目の今回は緩やかに(人によっては激しく)下降している時期です。下降しているという内容は、経済は無論のこと、政治も教育も社会も劣化しているという意味です。
新型コロナウイルスはいっこうに収まっておらず、「普通では開かない大会」です。それを敢えて開こうというのですから、そこには大きな理由があるはずです。それは「IOC」・「アメリカのTV局」・「アメリカ国民」・「世界的な大企業」の都合です。前回の開会式は、最も雨の降らない10月10日でした。それが今回は、何故猛暑の7月23日になるのでしょうか。選手にとって最も能力を発揮できる時間帯が、午前中だとは到底思えません。どちらもアメリカのTV局と、アメリカ国民の都合です。
この間の動きを見ていますと、敗戦に突き進んでいる我が国の軍部と政府を思い出さないわけにはいきません。「国民の命と財産を守るのが私の責任」とはよく聞く言葉ですが、これくらい内容の伴わない言葉はありません。こうなれば、事態をじっくりと観察して忘れないで、必ず次の動きにつなげたいものです。
理事長 竹内公昭
前のページに戻る